Topics&Columns(2001年1月7日)

 

ナパに行ってきました。ナパに仕事で行くことになろうとはあまり思っておりませんでした。

初夏、真夏、収穫の時期には行ったことがありますが、実は冬にナパに行くのは初めてです。天候は非常に良く、3日間の滞在中、昼間は全く雲ひとつないという天気で、非常に心地よいものでした。私と一緒にいた連れのアメリカ人は普通はこんなに天気が良いものではないといっていましたが、私からすればカリフォルニアらしい天候という感じがしました。ワイナリーめぐりということでは、スタグス・リープ、ジャーヴィス、シュラムズバーグという3つしか訪問できませんでしたが、丁寧に見ることができました。3つともよく知られたワイナリーです。約1年半ぶりのナパの様子は・・・

<スタグス・リープ>
マーケティング担当のジェイジェイ(JJ)が畑やカーブを見せてくれました。カーヴは塩素臭いのと、温度が高めなのがちょっと気になりましたが、アリの巣のように張り巡らされているのは、かつてのフランスのシャンパーニュ、ブルゴーニュ地方のカーヴの構造をまねているからです。ブルゴーニュのカーブは戦時中はレジスタンの隠れ家にもなりましたが、カリフォルニアではその気配はない・・・

カーブの中でも、FAYの畑側にはディナールームが設けられています。全体は拡張が続いています。このワイナリーの最も有名なワインである”SLV”の畑も年々植え替えを行なっているようです。最も有名かつ値段の高い”CASK”はテースティングさせてくれませんでしたが、”SLV”と”FAY"はテイスティングさせてくれました。値段は同じでしたが、複雑という意味でFAYよりSLVの方が私は個人的に好きです。今回は別の機会で85年のSLVをご相伴にあずかることもできましたが、強烈なカリフォルニアワインばかりをテイスティングしていた中での、ほっとする細身の成熟した感じがなんとも言えず好きでした。

<ジャーヴィス>
ご存知のかたも最近は多いと思いますが、最近めきめきと力もつけて、値段もあがってきているワインです。ワイナリーからテイスティングルーム、ディナールーム、ダンスルームなど全部の施設がカーヴの中にあるという珍しいワイナリーです。カーヴを掘削している最中に出水(泉)が出てきましたが、その出水から湧き出す水の流れがカーヴの湿度を一定に保つのに貢献しています。その水の流れはカーヴの新鮮さと温度もキープしていると思います。また、ロータリータンクを使用していて、このお陰で傷つくことなく果皮の色や成分が十分に抽出できるということでした。私自身は実はこのタンクを見るのは初めてのような気がしました。タンクはイタリア製でした。

テイスティングで気がついたのは、シャルドネもカベルネ・ソーヴィニョンも強烈なミネラル分があります。ビッグなワインであるということは知られたとおりです。面白いセット販売をしており、1997ヴィンテージのハーフ・ボトルのアソート・セットで、なんとカベルネ、メルロー、フラン、マルベック、プチヴェルドーの5ヴァラエタルに、シリンダー付きのものです。カベルネのみ2本、あと1本づつ、全部で230ドル。シリンダーで何をするかわかりますか?そうです。「自分でブレンドしてみてね!」というセットなのですよ。んーーーーー。さすが、アメリカ人!?

<シュラムズバーグ>
ここのワインは、実はホワイトハウスの公式の晩餐には必ず供されるというスパークリングワインです。昭和、平成の両天皇陛下も、橋本元総理も飲んだことがあるのです。そして橋本さんの場合は、1996年にクリントン大統領が日本に来たときに、橋本さんがわざわざ取り寄せてディナーに供しました。しか驚くなかれ、現在加州ワインさんは全アジアで年間12ケースしか輸入していないのです!という事で輸入元を変えるとか変えないとか。案内をしてくれたのはキースでしたが「天皇が飲んだことがあるのに、日本国民がのまなくていいのか」とのたまわっていました・・・。私としては、あえて日本国民には飲ませないようにしているのではないかと勘ぐってしまいます・・・。

それはそれとして、シュラムズバーグのカーヴはこれまた有名で、1860年代に出来たもので当時の中国移民の手によって掘削されたいくつかのカーヴの一つです。拙訳中のジェームズ・コナウェイ著「ナパ」の冒頭は、このシュラムズバーグ・ワイナリーを開いたデイヴィーズ夫妻がワイナリーを探す場面から始まります。彼らがやってきたのは1880年代ですが、彼らがこの地にやってきたときにはこのカーヴにはこうもりが住んでいました。いまはもう、こうもりは影さえありませんでしたが、ジャーヴィスなど比較すると割りにこじんまりとした感じで、黒々としたクモの巣がカーヴのそこここに絡みつき、垂れ下がった模様は厳かなもので、レジスタンスはここには隠れるかもしれないという印象で、カリフォルニアのワイナリーとは思えないものでした。

シュラムズバーグには26年間、一日たりとも休むことがなくルミアージュを続けているリドラー(名前を忘れました)がおり、こういった人々が品質の高いスパークリングワインの生産を可能にしています。私の場合、ワインに関しては「これが良い」と断言することはめったにないですが、カリフォルニアのスパークリングワインではシュラムズバーグが問題なくナンバーワンです。"The Schrum"はフレーバーは複雑、余韻はもう少し欲しいですがバックボーンもしっかりして極めて線の太いワインです。

<ピアース病>
これに関しては、ワイナリー以外の人々は一様に楽観的で「国も大学も補助金を出してやっているし、フィロキセラで随分と勉強できているので、脅威といえば脅威だけれども大丈夫」という言い方をしています。しかしワイナリー関係者は逆でした「脅威、その辺にきたら諦める覚悟をしなければならない」という感じでした。実はナパ中に、ブドウ畑の境界線となる場所の支柱に、10cm程度の黄色いテープが巻きつけられていて、それには透明のボンドが塗ってあります。これはガラス羽シャープシューターが黄色を好むという習性を利用したものです。周辺にやってきたら真っ先にここに何かしらの形跡を残すはずであると考えられています。むかーし、日本でも良く見かけた、あの天井からぶら下げておく「ハエ取り紙」とか「ゴキブリほいほい」よろしく、スタグス・リープではハエが一匹こびりついていました。担当の人物が時間を決めて、チェックをしにきているのだそうです。遺伝子操作から、ハエ取り紙まで、様々な工夫をしているということは、やはり皆さん真剣なのです。

<その他>
さて今回のナパ旅行で驚きましたのは、ワイナリーに訪れた人でもレストランのディナーテーブルでも、スワーリングをするアメリカ人の多いこと、多いこと。以前はもっと気楽にテースティングしていました。本当に一帯アメリカはどうなってしまったのでしょう?当然ナパですので、集まってくる観光客はある程度好き者。好き者でなければ、ワイン関係者なわけですが。「アルコールがビールより高いってことにワインなんか意味がアンだよ」といっていた友人もいましたが、「いったいどないなっとんねん、ん、ん?」という感じで眺めていました。

以前にプラムジャックのカベルネ・ソーヴィニョン・リザ−ブには二つのバージョンがあって、コルクトップとスクリューキャップが出るというコラムをこのサイトでも紹介しました。覚えておられる方はあまりいないかもしれませんが・・・。1997ビンテージの発売は昨年の秋、売り出しの値段はスクリューキャップ版は135ドルだかなんだかでした。そして、今回レストラン「ピノ・ブラン」で目にしたお値段は・・・・・なんと325ドルでした。他のワインの値段はその表示に目がくらんでしまって覚えていません。が、くらむほどまぶしく飛びぬけていたということだけは申し上げられるでしょう。このワインを買って飲む人が大勢いれば、間違いなく希少価値性を生み出したマーケティングの勝利でしょう。しかしそんな値段で誰が飲みますかね?ただでさえスクリューキャップの方が熟成は遅いといわれているのに。

スタグス・リープのJJもしきりに使っていたのが「テロワール」という言葉。アメリカ人は以前は全く使わなかったのです。「カリフォルニアは天候が良いからブドウは問題なく育つ」と言われていました。アメリーンのAVA気候区分というのはありますが、土壌区分というものはない。しかしどこでもテロワールを言うようになったようです。コッポラのギフトショップでは本の「テロワール」をかなりの冊数販売していました。あの本は一般人受けする本でもないにもかかわらずです。それからジャーヴィスでは、「ブドウを一旦全部植え替えた。それは表土の少し下にハードパン(硬い土壌の層)があって、これが理由で木々が弱かった。テロワールに着目するようになった」という話もありました。スタグス・リープでは、「同じSLV畑でもテロワール、つまり水はけとか、微妙な斜面の角度とか、日当たりとかが違うので、ブロックに分けて収穫して、後でアセンブルする」と細かな話の中で、テロワールという言葉を使っているのです。日本でもテロワールという言葉を使い出したのはつい3、4年前からでしたから、同じようにカリフォルニアでも認識が深まってきたのでしょうか。テロワールの意味する内容は使う人で様々ですけどね。

<今年のカリフォルニアワイン業界>
アメリカは今年、景気後退に向かいます。これまでの10年間は誰もお金の心配をする必要がなくなった時代でした。連れの不動産コンサルタントのアメリカ人が言っていたことですが、シリコンバレーでは「一日に7人のミリオネアを生み出す」ということも事実だったようです。そして「ビルの掃除婦のおばさんでも一億の家を買った」という状況だったのです。そんな中、お金があまってどうしようもなくなったという人もいたようです。ワイン産業は好景気の恩恵に最もあずかった産業の一つでした。

一方で昨年は、IT産業は自らのために存在するものではないということがわかって株価の調整がなされました。連れのアメリカ人によれば、「IT業界は、既に思春期は終わった。会社でも、技術者たちも安定を求めて仕事を選んでいる。随分変わってきている」と言っていました。そういう状況下で景気が後退に向かうとなれば、アメリカという国は、極めて価格感度の非常に高い国ですので、相当に物価調整も行なわれてくるはず。そうなれば、これまで恩恵を受けてきた分、今年最もダメージを受けそうです。全般的に少なからず価格調整がなされて来るでしょう。ピアース病騒ぎも加わって、今年一年は我慢を強いられるカリフォルニアワイン業界なのだろうと私はよんでいます。(H)

 

パーカー物語(その5) 

間違いなく昨年末で終わるはずだったのですが、年を越してしまいました。これでねたを持たせようとしたわけでもなかったのですが・・・

― テロワールと伝統 ―

32年たった今、パーカーは自分達に十分な代金を払っていないと感じるフランスでのワイナリーがある。昨春、ボルドーの近くである重鎮と話をした。しばらくの間、彼自身はパーカーの友人を装っていたが、いつしか彼に対する怒りを抑えられなくなっていた。自分のオフィスのドアを閉め、私の方を振り向いてこういった。「ムッシュ、パーカーっていう人間をよくご存知ですか?会ったことがありますか?」深く響くような声で 言った。「あなたはよもや彼がただワインをテイスティングしているだけではないということをご承知でしょう。政治的な意味合いについても彼は十分に理解しているということをご承知でしょう。そうなのですよ、彼は自分がやっていることがどんなことなのかを重々理解しているのです。だからやっているのですよ、あれを。」

彼が言いたいことは、パーカーが金のためにやっていることだといいたかったのだろうか、それともパーカーは隠れて取引をしているといっているのだろうか?密会でもして?政府と関係があるとでも?私は説明を求めた。

その人物は私に最近のワイン・アドヴォケイトのあるページを差し出して見せた。オーストラリアワインについてのレビューだった。彼は私がその記事を読んでいる間、私をずっと睨んでいた。少なくとも私にはそう思える鋭い視線があった。パーカーはオーストラリアワインが好きなので、もっぱら90点台をつけていた。私は顔をあげて「しかし、あなたのワインだってスコアは高いでしょう?」

彼のポイントはそこではなかった。彼のワインは伝統的なワイン、それに対してページに載っていたワインはそうではない。「ボブは偉大で、すぐれた人物だ。素晴らしい舌を持っている。しかし我々のワインはあくまで『赤』であって、『黒』ではないんですよ。」そういってペンを取り上げ、パーカーが好きなワインの色はこうだ、といわんばかりに黒光りするモンブランのペンを私の目の前に突き出した。「20年近く彼のことを知っている。しかしもう彼が書くことは読みはしない。我々の将来は彼のために台無しになりつつある。」

ボルドーという土地柄はそうなのだ。あまりに深い伝統のために、フランス革命でさえ起きたことを嘆く人々に会うことは珍しいことでもない。私がこの話をロヴァニにしたときに、彼はこういった。「どういう話か良くわかりませんが、ボルドーでは『人』が町を支配しているんですよ。つまり私がワインビジネスをやっているとして、大きな腹をしてバカ面したメリーランドの人間が、『私』を評価するとしたら、私がその人間を好きになれるかということですよ。支配することが出来なくなるかもしれないのですよ。そのために。」

ロヴァニはボルドーのテイスティングをやるわけではないが、良く知っているのは間違いない。かつて大シャトーのオーナーと話をしたときのことを語ってくれた。「どれぐらいワインのことにどうやって興味が沸いたのかと質問したんです。そうしたら、『学校をでたときに、父は私にあげるものが何もなくてね、それでワイナリーを私に譲ったわけさ』何百万ドルの価値があるワイナリーをもらえばねえ・・・」と笑った。そのシャトーのオーナーは有名な人物である。

ボルドーでは人の誕生年を質問をすることがあるが、これは別に年齢を知りたいからではない。ヴィンテージと結び付けたいのだ。私はあるワイン生産者にであったとき、彼は自分が生活できる「クラス」について微笑んでいた。そのときに周囲にいた生産者達はいずれも偉大なワインを造っていたが、微笑む素振りはなかった。ボルドーでは、生産者達は世襲官僚主義の中で生きているのである。いわゆるメドック格付けである。これは伝統的な考え方の中で19世紀に、当時の相対的な品質と価格とワインの権威に基づいて定められたものである。ブドウの木にも個人にも関係ないもので、シャトーに与えられた格付けなのである。当時はこの格付けは大きな成功を収めた。消費者達はラベルに惑わされずにワインの良否がわかるようになったし、生産者達は価格設定がやりやすくなったし、業界全体が安定した。しかし時をへて、この格付けが生き続けている状況は行き過ぎた状況に写る。格付けが決められて以来、何もかわらない。あるいは殆ど変化を受け付けない。その結果、ボルドーのワイン業界と社会構造が形骸化してきていた。

そこにパーカーがやってきた。その登場は革命をもたらすものであった。これまでの格付けを無視し、ただ単にワインのテイスティングを行なったのである。自分自身の判断に基づく完全に新しい格付けシステムを発明したのである。これはボルドー、とくにメドックの生産者に対して重大な心配をもたらすことになった。これまでに伝統的で厳格な格付けが存在し、世界中で最も高価なワインを生産していたワイン産地に脅威をもたらしたのである。メドックは取り立てて魅力的な場所ではない。しかし格付けゆえに少なくとも自分達にとって意味のある場所であった。

取材中、私は実は警告されたことがあった。ワイン生産者達は私に対してもコミュニケーションを閉ざすかもしれないという。パーカーに対してそうしたいのと同じように。しかし彼らはそうはしなかった。彼らは私に複雑な状況を語ってくれた。彼らはビジネスの状況を語ってくれ、友人を紹介し、そして辛抱強くパーカーのやり方の問題点について語ってくれた。しかし、彼らの格付けルールを保護しなければならないということに関して、ユーモアも交えながらも説得力のある議論を展開してくれる人物には会えなかった。

一人だけボルドーの人々の感じている脅威についてまとめて話してくれそうな人物がいた。ベルナール・ジネステだ。かつての大貴族の子孫で、今はワインの哲学を語る。彼とはボルドーでランチをともにした。彼は痩せこけて、白髪でひげもそらず、目は落ち込んで、声はチェーンスモーカーのしゃがれた声だった。私は、生活に疲れているのだと思った。忙しいのかもしれない。貴族生活から目が覚め、一度は世を捨てたことがあるというような振る舞いにも見えた。彼が笑っても、彼の目は決して笑わなかった。「どの生産者の中にも失敗する人間はいるものだ」と彼が語ったとき、彼自身のことであるとは気づかなかった。彼はかつて、シャトー・マルゴーを引継ぎ、そしてボルドーの格付けシステムがピークにあるときに売却せざるを得なかった。1977年に彼がその資産を売却しなければならなかったとき、ジネステ家の落ちぶれる様子に、ボルドーの人々は震撼したという。

借金を返済した後、ジネステには資産と呼べるものは殆どなかった。しかしどういうわけか彼はマルゴー村の村長に選ばれることになった。生きていくために、物書きをやり、編集者をやり、「アペラシオン」ごとに詳細な本をいくつか書いた。この本のために彼自身ボルドーワインの中心コンセプト、テロワール、の権威として認められるようになったのである。テロワールという言葉の翻訳は無いが、テロワールという言葉は歴史、格付け、ブドウの系統などに強く関係するもので、そして直接には『土』を意味するが、しかし単に現物の土ではなく、そこから木、ワイン、人の気質さえもが作られるという隠喩的な意味での土という意味でも引用される。ジネステはテロワールを学ぶために相当の年月をかけたのだ。年によって天候も違うし、技術レベルも関係してくるが、ボルドーワインの貴族政治的性格を語るためには、テロワールを欠くことが出来ないのである。

ジネステとのミーティングはうまくいかなかった。彼がサンフランシスコに住んだことがあるせいもあって、アメリカ人のことを理解していると私は思っていた。一方で、彼の本は英語に翻訳されていなかった。なぜかと質問すると、自分のフォークを振って、「英語にすると、えらくフランスっぽい感じになるのでね」といった。いかにも『こういう答えで十分なんだろう?』という言い方だった。私が持っていた仮定について全て否定したし、どうも攻撃にさらされていると感じて壁を作ってしまったようだった。顔をしかめては、頭を振った。黙り込んだと思えば横に座った女性を眺め、水をすすったかと思えばワインをすするという風で、リラックスはしていたようだったが。

しかしパーカーの話だけには彼の注意を向けることが出来た。パーカーが好きなようにも見えた。叔父が手におえない甥っ子について語る、そんな言い方であった。かつてパーカーは自分自身の本を贈り、同時にスコアが非常に悪かったワインを贈った。ジネステ曰く「ボブは今という時代にふさわしい自分のイメージを作り出したね」

「イメージというのは?」
「グルさ。その道を極めたグルだね。」
「それ以前にはグルは必要なかったと?」
「そうさ、いや、それまでは国ごとにばらばらだった。影響力を与えられる部分にだけにあったというかね。今はグローバリゼーションの時代だろう。ボブはワインのグローバリゼーションのための腕のいい職人というとことかな」

よく考えられた言葉だった。彼はグローバリゼーションという言葉をフランス人の定義で、つまりフランス人がそうだろうと思い込んでいるアメリカ人のスタイルで、使った様だ。フランス人の中には、アメリカは単一文化の国だと思っている人々が多い。彼はサンフランシスコに住んでいたかもしれないが、アメリカは他民族国家であることを理解しなかったようだ。

「アメリカ人のテイストというのは非常にスタンダード化されているよね。値段に敏感で、こまやかさに欠ける。ボブはそこを突いてきたのさ。感覚的に気が付いたのかもしれないし、考え付いたのかもしれない。アメリカ人はシンプルなものが好きじゃないか。真四角っぽいのがいいんだろ?ボブは真四角のテイストさ」そういって指で空中に四角を書いた。

私はパーカーの本はフランスでは良く売れているということについて触れたが、彼はアメリカの話を続けた。「アメリカ人にとっては確実であるということが重要なのさ。ワインにとって何が真実かといえば、確実ではないということさ。ボブが成功した理由というのは、そのことを十分に知っているからさ」

「そしてフランス人は・・・何が重要なのですか?」

彼はフランス人は不確実なものが好きだとは言わなかった。そのかわり「私の個人的な信念は、何も確実なものは存在しないということなのさ」 とだけ言い、タバコに火をつけ、大きく吸い込んでから続けた。和らいだ声で、「軽いワイン、ワインの楽しみ、感情のあるワイン・・・かな」

私はもう一度テロワールについて聞こうと、その定義を確認しようとしたが、彼は口を閉ざしてしまった。

私はウェイターを呼んだ。

続く(H)