Topics&Columns(2001年1月14日)
1月13日、樽町ワイン会の新年会をやりました。場所は港北ニュータウン内のフレンチレストラン「マキシミリアン」です。3年前から夫婦でやっておられるお店で、開業前には樽町ワイン会に参加していただいていました。
(H)
ヴァランドローの新ネーム
(訂正:緑字の部分は、ヴァランドロー側からのご指摘により訂正を加えた部分です。最初のテキストでは「2000年のビンテージから市場からなくなる」と書きましたが、これは間違いのようです。)
1月11日付Wine Todayが伝えるところによりますと、ヴァランドローの新ネーム決まったようです。いつでしたがお話しましたが、畑に雨よけのビニールシートを敷いたために格付けからはずされました。INAOの理屈からすれば土壌に干渉し、テロワールの概念を壊すものだからです。1999年は2ヘクタールにビニールシートを敷いており、この2ヘクタールから造るワインはサンテミリオン グランクリュを名乗ることは出来ませんが残りの畑から作られるワインはシャトードヴァランドロー・サンテミリオン グランクリュを名乗ることが出来ます。しかしワインそのものがなくなるわけではなく、新たな名前で登場します。その名を"L’Interdit de Valandraud" 文字通り訳せば「ヴァランドローの禁止」 。人によってはもっと響きの良い、例えば「禁じられたヴァランドロー」のような訳をつけるのかもしれません。それからもう一人同じ罰をくらったワイナリーは、ミシェル・ロランのシャトー・フォントニルですが、こちらのワインのネーミングは"Le Defi de Fontenil "「フォントニルの挑戦」です。
罰をくらった本人達は、どちらかというと「どこ吹く風」のような感じだそうで、自由度が増えたとも言っているようです。しかし実はビニールシートは1999年はINAO自身が「実験」で使って良いよと言ったのです。その中にはペトリュスを含むほかのワイナリーも含まれていました。INAOは2000年にビニールシートを使用するのは禁じました。彼らはそれに反旗を翻してしまったので罰を食らったのです(ムエックスは使用しませんでしたが)。
フランス人はもともとネーミングが下手といわれる人々ですが・・・ 私から言わせればどうしようもないネーミングです。理解できない。しかしどういういきさつでこのような名前になったのかをしばらくは忘れないですよね。しかしその先は忘れられて「何でこのワインは、こんなアホななまえなんやろう?」と思う人もいることでしょう。(H)
まだまだ終わりそうにありません・・・
― パーカーコメントを待つ ―
ワインの先物を売るというのはボルドーのトップシャトーの特権でもあるが、今や彼らは全てのワインをこの手法でやろうとしている。先物売買という仕組みは、ワインに対する需要を先にコミットさせることが出来るので生産者にとっては財政面ではるかに楽になる。いわば消費者に対してインサイダー的な役割を楽しんでもらえる、というのも購入したワインが成熟したあかつきには、市場での価格は高価になっている。しかしこのプロセスは複雑なものだ。毎年春に開始されるが、まず前年のワインを従来のネゴシアンたちにワインを割り当てていく。ネゴシアンは数百年間にわたってワインを直接購入できる権利を独占している。それぞれのシャトーは交渉は数週間に渡るが、隣のシャトーはどれぐらいで出してくるのかということが気がかりでしょうがない。価格次第でワインの格が決まるし、値段というのは相対的なものでしかない。だから毎年このプロセスが始まる際には、誰も最初にやりたがらない。ベンチマークになるからだ。あるワインメーカーが語ったが「だるまさんがころんだ」のようなゲームである。
パーカーがこのゲームをさらに複雑にした。パーカーはボルドーにいる時、殆ど人付き合いをしない。ボルドー市は町をあげて、彼の一挙手一投足を観察するのであるが、彼の表情は能面のようで、モンクトンにもどるまで一切のコメントを発表しない。そしてボルドーの人々は、4月にパーカーコメントが出てくるまで「だるまさんがころんだ」をする。2000年の春はそれまでにもましてひどい状況だった。ボルドーの人々は1999年ヴィンテージは良く言って平均的な年だった。当時市場は、低品質高価格の1997年物とさらに値段の高い1998年物であふれかえっていた。小売市場はこれまでの有無を言わせない配分制度に対して怒りを露わにしていた。ただのパイプのようだった。
ボルドーの生産量は非常に多かった。シャトーマルゴーだけで44万本を生産していた。レオヴィル・バルトンのオーナーに至っては、ボルドーの人々が全員一本づつ飲んでくれたら自分のワインは全部売り切れるのだが・・・とこぼしたりする始末で、生産量が多いことに対して嘆く声もあった。もちろん全員という中には子供もイスラム教徒も含まれるわけである。しかしボルドーには2000年という多分みなが買い求めるであろうヴィンテージに向かって勢いを緩めたくないという雰囲気があるのは事実だった。
同時に、市場全体でかなり大胆な価格調整が必要なことは明らかであった。またワイン・アドヴォケート誌は読者に対して1999年の先物を買うのは控えた方が良いことを提言するはずであることは明らかだった。しかし「だるまさん・・・」はやらざる得ない。誰がまず値段を下げるかが問題だった。誰からそれをやれば続くワイナリーはその値段よりほんのわずかに高く値付けする。だがパーカーがこちらよりあちら、あちらよりこちらのワインを高く評価するかもしれない、こちらに89点、あちらに90点を与えるかもしれないという可能性を無視できるリーダーはボルドーにはただの一人もいなかった。だからボルドーは待たざるを得なかった。
シャトー・パヴィのテイスティングに行ったことがあった。サンテミリオンのヒルトップに近いところにある最近勢いを増してきたワイナリーである。そこには世界中からのバイヤーが所狭しと動き回っている光景があった。ボルドーの40ワイナリーから提出された1999年物をテイスティングしている最中だった。そこは内装も整えられ、樽もきれいに並べられデコレーションもなされというように私は感じた。しかしそこに集まった人々は美術愛好家でも鑑賞者でもなかった。感動しないことで生計を立てている人々であった。しかし彼らもまたパーカー・ポイントがなければ値段をつけられない人々だった。不機嫌そうにメモは取るのだけれどもただの時間稼ぎだった。
このテイスティングのホストはグラン・クリュ組合の会長のアレン・ペイノーであった。彼自身ルブールンの近くでワインを生産している。彼は会場の雰囲気を察知していた。値段の提示がないことに対して会場に集まった人々はかなりいらだっていた。「もしパーカーの影響力が大きするぎるとすれば、それはネゴシアンが悪い。いまここにお客が集まっているお客さんに対して彼ら自らが品質評価をして値段を提示するべきなのです。そうやってちゃんとビジネスをやるべきなのです。腰抜けか、あるいは間抜けなのかもしれないがただ待っているんです。全く驚くかぎりですよ。自分達で評論すれば良い」
これに対して私は「しかしネゴシアンの皆さんはパーカーはただ評論するだけではなくて、市場までも作ってしまうと考えているから何も出来ないのでしょう?」レイノーは続けた。
「例えば昨年は、私は自ら1998年ワインをここに持ち込みましたよ。そして100フランで販売するといいましたよ。税前でね。そうしたら皆が、文字通り全員がだ、『非常に良いワインを造りましたね。しかし値段がを上げすぎではないか。それでは我々は買えない』といった。だから私は自ら言ったのです。『いいでしょう。そしたらボブのスコアをまちましょうか』とね。結果、パーカーポイントは93−95というものでしたよ。それが出てからというもの、200フランでも売れたでしょう。そんな値段でも飛んで行ったでしょうね。しかし私はそれはやらなかった。私は125フランで卸した。それでネゴシアンが先におろした値段は300フランだそうです」
レイノーは満足そうに話をしたが、ただそれだけではなかった。ネゴシアンたちは、単に彼らの伝統的な役割、つまり自分達の評価に基づいて品質評価をして価格を交渉するということ、をこなすだけではなくて、パーカーを待っていた方が利益をあげることができるた事実を言いたかった。そしてさらに言わんとするところは、ネゴシアンたちが自分達の義務を果たさず、責任を回避しているということだった。多分彼の言いたいことは正しいのだが、一つ付け加えなければならないこともある。彼は多分言わないだろうが、パーカーの影響力が強すぎるためにネゴシアンも自分自身の実の振り方がわからないのである。通常のどこにでも置いてあるワインでなく、品質の最も高いワインが、出来たばかりの若いうちにテイストされ、そして90ポイント以上が付くかどうかということが問題にされる市場である。事実パーカーポイントが出て、イノイチバンに値段をつけることで儲けにつなげることが出来る世界が事実としてあるのだ。パーカーを無視して値段をつけるリスクは大いにある。適切な値段でネゴシアンとワイナリーが値段に合意したとして、パーカーポイントが90ポイント代でなくて89だった場合、市場は、ネゴシアンが買った値段を受け入れないかもしれない。パーカー自身は、自分がつけるポイントでいかなる思惑的な値付けも起きるべきではないとしているが、事実は逆である。彼がたき付けの原因そのものである。
続く(H)