Topics&Columns(2001年5月6日)

連休だというのに、忙しくしておりました。パーカー物語は皆さん読んでいただいているようですが、あくまで私のメモですのでちゃんとした文章でなくてもご容赦ください。今度はコッポラの話をメモにしておこうかと思っています。

ボルドーのスタイルということ

要約引用:

1855年にメドック50シャトーの格付けが行なわれたのは誰でも知っている通りですが、そのとき以来全くオーナーが変わっていないのはたったの2つです。言わずとしれたムートンと、そしてバルトン家です。

そして驚くなかれ、18世紀にはアイルランド人がメジャープレーヤーだったのですよ。ランシュ・バージュもキルヴァンもアイルランド人の持ち物だった。バルトン家は、1722年来ボルドーに拠点を構えましたが、アイルランドにも同時に土地をもっていた。そして現在のバルトン家の当主のアンソニー・バルトンは、1930年にそのアイルランドで生まれた人なのです。

アンソニーはもともと、バルトン・エ・ゲスティエで輸出の仕事をしていましたが、1967年に自分のネゴシアンビジネスを立ち上げました。おじのロナルドから完全にレオヴィルとランゴアを引き継いだのは1985年のことでした。

アンソニーはワインメイキングのスタイルを最近の流行のようにはしたくないと言っています。メドックのワインはフィネスとバランスと熟成する可能性を持ち合わせていなくてはならないと思っています。現在流行のワインには興味がないのです。絶対に「サンジュリアンで造られたワイン」としての個性をもっていなければならないのです。しっかりしたボディ、優雅なカベルネ・ソーヴィニョンの香りを持っている―しかし豊満さ重厚さのためにこれらを犠牲にしてはいけないのです。

ただロナルドと違うところは、変化そのものを否定しているわけではないことです。自分が受け継いですぐに新たなシェを建設しました。そしてありがたいことにステンレスタンクにする金がなかったのでそのまま木のタンクを使っています。ご承知のように今の流行はオークタンクです。(もし本当に保守的というならば、お金を調達してでもステンレスにした?)

ロナルドは保守的で、昔からつかっている果実を砕いてしまうデステマーを使用することにこだわったらしく、もし1945年や1947年のワインが今でもいいのであれば、デステマーも変える必要はないというのが主張だった様です。

アンソニーはまた欲が張っていないことで知られています。ボルドーのほかのシャトーが値段を上げていく中でも、常に極めて現実的な値付けをしてきました。このようなことは、実はバルトン家が完全に独立を保っているということに大きな理由があります。他のシャトーでは、株主に対して投資効率を向上させることを考えなければならないのです。アンソニーには、そのようなプレッシャーはありません。

幸い、その独立を脅かす人も影もありません。もちろん欲しがっている人は少なからずいるようですが。以前の話ということで、ブラーヌ・カントナックが高額で売却されたときに、関係した弁護士に「レオヴィルとランゴアを売るとしたらいくらでしょうね?」という質問をしたことがあったようです。弁護士曰くは「そりゃあもう。気が違っていなければ間違いなく売却する金額ですよ。」と「手伝いましょうか」といわんばかりの好奇心旺盛な顔に変わったそうです。そしてアンソニーは「残念ながら私はキチガイなのでね。あれは売り物ではないのです。」

引用終わり

こういう話は好きですねわたしは。4月23日のワイントゥデイからでした。(H)

アンティノリよ、倉庫代を払え!

と言っても随分な話ではありますが・・・

アンティノリは、1991年以来、ベネディクティン自治体からパッシニャーノ修道院をセラーとして使わせてもらっていました。キャンティ・クラシコの中心部にあります。そこにかのソライアを保存していました。

さて、そこにワイン・スペクテーターが2000年のベスト・ワインにソライアをノミネートしてしまったので大変なことになってしまったのです。ノミネートの事実を知った自治体の会計士(なのかどうかは定かではないですが)は、同時に蔵に眠っているワインの価値を知ってしまったのです。それまで約1275ドル/月だった蔵代をいきなり6750ドル/月にすることにしたのです。

アルビエラ・アンティノリは、デカンター誌に対して、「雑誌を見た途端に上げてきたのです。5本売れば蔵代が払えるなんて、というニュアンスで。それに蔵の修繕が必要だということで。状態はいいのですが。それでわれわれは2倍ではどうかというカウンターをしたのです。翌日に返事がないと思っていたところに新聞に出てしまったのです。うちの弁護士が名前を売りたかったのです。」と迷惑そうに語ったようです。

一方の自治体の方の言葉を総合すると、「そもそももともとの蔵代が間違っていました。蔵代を決めたのは弁護士です。われわれではない。それに建物の状態がよくないのですよ。修道院の修繕は必要です。壁が剥がれ落ちてきている。アンティノリの蔵代を上げたくらいで収まる金額ではない。」ということになりますが、アンティノリ側は、いろいろとうっとうしいということで、この修道院は使わないことを決めたそうです。

これは5月3日付のデカンターオンラインに記載されたものです。どれぐらいの広さか知りませんし、どれぐらいの市場かは知りませんが、アンティノリは安かったから使ったのは明白でしょう。(H)

日本酒がはやっている?!

はい。アメリカではそのようです。一緒にビジネスをやりましょうと言ってたずねた先のある人も、「日本酒の方がカジュアルで、強いし、好きなんです。」というようなことを言っていました。私は「おいおい、あんたワインを売ってんじゃあないの?」と言いたかったですが・・・

5月4日のワインスペクテーター・オンラインに出ていましたが、「そりゃそうでしょう」と思いますよ、私は。カリフォルニアワインの値段のあがり方は尋常ではない。バッカみたいですよ。クレイジーだ。

そもそも酒ならなんでもいいという連中が、投資になるというのでワインを買いあさった結果が今の値段です。飲むのなら日本酒でいいのです。

スペクテーターの記事では、日本酒が伸びている理由を二つ挙げていて、まずアジア料理が流行りだしたので、これにあわせたい。次に、酒メーカーのマーケティング戦略として、「冷やしてのめばWine と同じ。」と言うのが功を奏してきたと言うのです。現象面としては、ボトルの形なども工夫をしているようです。さらに、いろいろのレストランで、つまり寿司レストランだけでなくて、日本酒を出し始めていると書いています。ワインリストの中に入っているとも書いています。「サケティニス」という酒ベースのカクテルもポピュラーになってきているとも・・・

オレゴンにはサケ・ワンという酒メーカーがあります。日本の資本は入っていないようです。こういった人々が、既存の「日本人のための日本人による日本酒」の概念を壊し始めているようです。「ロイズ」は、シリコンバレーとか原宿にありますが、彼らはサケ・ワンと組んで自社ブランドの酒をレストランで出すことを決めたようです。ロイズのバイヤーであるカーパロソ氏は「純米大吟醸酒は、微妙さを持っていて非常によいバランスです。日本からの食材、ソース、調理法を使う限りはパーフェクトマッチですよ。」

なんと!とこの記事を読んで驚いたのがこのフレーズ。「しかし、酒はなにも食べ合わせるものがなくても楽しめて、すすれる酒だ。すでに大都市では酒・バーがある。そこでは当然サケが中心で、室温より低い温度で飲むというのが普通だ。ニューヨークのイーストヴィレッジにある『メガデシベル』では、50種類の酒をグラス、もしくはハーフボトルでサービスしている。殆どは純米酒で、メニューには冷やして出す。」と書かれています・・・。「サンタ・モニカのスシ・サケバー『ハンプ』では12種類を冷酒として出している。お燗して出す酒は1種類は置いている。時代遅れの人用だ。『お燗した酒を頼んでも別に差別はしませんが、みーんな冷酒が良い様ですよ。』とは店のマネジャーのジャック・クリフス氏の言。」

まあいいか。日本酒」は、とうとう「SAKE」と呼ばれるようになってしまっているようです。日本酒は「ライスワイン」と訳すと思っているのは日本人だけのようです。そのうち、焼酎も世界進出を果たし、「SAKE」の仲間入りをするかもしれません。サケのことを日本酒と呼んでいたら、世界の時流に乗り遅れる!?(出だしのニュアンスと変わってはいませんか〜?)(H)

ロバート・モンダヴィの勇退の意味

いくつかのソースで伝えておりました。5月1日にロバート・モンダヴィ、齢88歳の翁は名誉会長に退くことにしました。1965年に自分のワイナリーを設立して以来、36年間にわたってロバート帝国を作り上げ、そしてカリフォルニアワイン産業の発展に寄与してきた人物です。

あまりご存じない方も多いでしょうが、ナパには、「ナパをいかに開発していくか」ということについて、常にワイナリー同士、そしてワイナリーと栽培者との間で確執がありました。「本音を言えばナパ開発の急先鋒、しかし表面上はそうは見せない」というのがモンダヴィであったような気がします。

結果をみればナパの開発は大々的に進んできて、現在に見るような「おごれるもの」といわれるほどになりました。誰が何と言っても、ナパ全体の収入が増えたわけですから、ナパの人々は全体として恩恵を受けたと言うことがいえます。ここでのモンダイヴィの貢献といえましょう。

今後のワイナリー経営は、会長にマイケル、副会長にティム、CEOにグレッグ・エヴァンスということになるようです。実はモンダヴィ家兄弟のポジション・タイトル問題と言うのは以前からありまして、1994年にマイケルをCEOにしようとしたらティムがすねた。ために共同CEOにしたのですが、理由はいろいろあるようです。ティムは根っからの技術屋、とマイケルは事務屋、性格などなど、小さい頃にマイケルがティムのミルクを取った・・・など。もう一度報告がありそうな気がします。

ロバートその人は、以前もお知らせしましたアメリカン・センター・オブ・ワイン・フード・アートの設立に注力していくということになるようです。ロバートは、ずーっと、多分50年来このステイタスに憧れを抱いていたのです。ナパを世界に知らしめ、自分のワイナリーを世界中に知らしめ、自分を世界中に知らしめる、そして自分の名をアメリカの歴史に刻むということを・・・(H)