Topics&Columns(2004年3月8日)
ブライアントvs.ターリーの法廷は続く
熾烈なものになってきています。非常に醜い。アメリカではこれはオープンになるのです。テレビドラマそのものが、ワイン業界で起こっている。この話は長いです・・・念のため。
【まとめ】
3月2日、緊張が高まった。ターリー側の弁護に立つフィリップ・テリー氏が、ブライアントが法律の学位をもつ事実を背景に、ブライアントは意図してターリーとの雇用契約を破棄しようとしていたと述べた際、ブライアントは「あなたと一緒にしないでもらいたいね」と気色ばんだのである。ブライアントは、証言の最中に何度も、学位はあるが法律家としての業務は行っていないという事を述べた。
ナパ高等裁判所判事であるレイモンド・グアダーニ氏は、このやり取りに対して、ブライアントに向って「いいですか。彼はあなたに対していくつか質問をしているのです。あなたはそれに答えるだけで良いのです。余計な情報を提供していただく必要はありません」となじった。
2月24日以来、グアダーニ氏が、今回の辛らつな言い合いが飛び交う法廷で、態度を諭すのは初めてではない。両者の弁護士に対して、法廷で個人的な感情を交えるのは避けるよう注意した。テリー氏のブライアントへの長時間の尋問に対して、ブライアント側の弁護士であるジョン・マスグレイブ氏が割って入ったときにも、かの弁護人を叱責した。
テリー氏は、ターリーとウェットローファーの主張を裏付ける承認として、アロウホ・エステートのバート・アロウホ氏に対して質問を行った。彼自身は、この裁判に関与したくなかったが、しぶしぶと証言をした。アロウホ氏によると、ブライアントはターリーと問題があることを示唆したし、ブライアントは、別のワインメーカーを見つけなければならないかもしれないという心配をしていたということになる。しかしそういった会話がいつなされたということについては、明確にならなかった。
テリー氏は、ブライアントに対して、ジョン・コングスガード氏とターリーの後釜にということで話したのかどうかということについて質問した。ブライアントは、コングスガード氏は、コンサルタント業務はそれ以降は引き受けないという話だったと回答した。
ブライアントは、10月10日かそのあたりに、コネチカットのパーク・スミスという人物の推薦で、現ワインメーカーのフィリップ・メルカ氏に連絡をとり、その後10月17日に二人は面会した。そしてメルカ氏は、12万ドル/年の報酬で、ワインメーカーの仕事を引き受けた。さらにその一週間後、ブライアントはボルドーのコンサルタントであるミシェル・ロラン氏を9.5万ドルで雇った。
メルカ氏は、証言台にはジーンズと作業靴といういでたちで訪れたが、ブライアントといつ初めて話したかということについてははっきり出来なかった。また、最初の話も「可能性のあるポジション」というだけの話だったと証言した。テリー氏は、はっきりとした日付が欲しかったのではあったが。
ブライアントの弁護人がブライアント自身に行った質問は、ブライアントがいかに日常のワイナリー経営に参画していたかを証明するために行われた。ブライアントからあるいは、ブライアントに対して送られたメモ、ファックス、予算書、契約書その他報告書のたぐいの山ほどの書類も提出された。
ターリーが、自分自身がワイナリーの全部の権限を掌握していたという主張に対しては、ブライアントは、次のようにワインの価格については自分が決定したことを述べた。1994年、ターリーは1992年BFVカベルネの価格を25ドルから販売開始し、いずれ30ドルにあげる事を提案したが、結局は、ブライアント自身が36ドルをスタート価格にするということを決定したし、それ以降94年物を60ドルで、そして95年物を100ドルで販売することを決定したのだった。ブライアントからターリーに当てた1998年1月26日付ファックスの中で、「100ドルで10000ケース売れると確信している」と述べている。現在のリリース価格は200ドルである。
また、ブライアントは、レストランでは500ドルで売られるものでも、卸値は希望小売価格の50%でしか販売できないというそれまでの商習慣をみずから変え、卸には希望小売の10ドル引きで販売することを決定したと述べた。「ヘレンは、必死に抵抗したがね」と。
原告が求めたプロフィット・シェアリングについては、ターリーは1998年から、その導入を求めていたことがわかった。1998年6月30日付け、ターリーからブライアントに当てたファックスの中で、ターリーは「わたしはいくつものプロジェクトのオファーを受けております。それらと比較するとブライアントが最低の10万ドルということになります。ワイナリーの建設が始まった際には、それなりの昇給をお願いしたい。フル生産を考慮したプロフィット・シェアリングにしていただきたい」と述べている。ブライアントは、プロフィット・シェアリングには全く興味がなかったし、それゆえに1998年に、だれもパートナーに迎えるつもりがないということをターリーに対して伝えたということを証言した。
ブライアントの証言は、3月3日に完了したが、予想以上の16時間という時間がかかった。加えて、被告の弁護人の一人であるマルコム・マッケンジーが自動車にはねられて怪我をするという事故が発生したため、法廷が2月25日から29日までの期間閉廷されたのである。
本日、グアルダーニ判事は、両弁護士に対して「効率よくすすめるように」と依頼した。というのも、今週を過ぎて全ての陪審員が法廷にこれないかもしれないからである。3月9日に手術が予定されている陪審員がいるし、2名の陪審員は、これ以上裁判にくると家計に支障があるという事を申し出た。判事は、もし裁判が長引くようであれば、当事者は、10名ないし11名の陪審の評決を受け入れなければならいことを通告した。
【まとめ終わり】
ニュアンスが飛ばないよう、ほとんどそのまんまです。インターネットというのは、こういうことが直ぐに伝わってしまうのです。3月3日付けスペクテータと、ナパ・ニューズ・ドット・コムからでした。ワインというのは本当に生身の人間が造っているということがよくわかります。自然との闘いの中でブドウを栽培し、ワインを造るということはよく言われますが、人間同士の葛藤の中で造られるということもあるのです。摂訳「カリフォルニアワイン物語」でもそうですが、「ナパ」という街には、人間の感情が渦巻いているようです。(H)
世界初、メンドシーノは「有機」の地域
カリフォルニア州、メンドシーノ郡で「メジャーH」と呼ばれる施策が決定されました。これは郡内での遺伝子組み換え植物・家畜(GMO)の育成を禁じるものです。3月2日に住民投票によって決定しました。そしてこのニュースは、ワイン関係のみならず、様々な一般的なニュースソースでも報じられました。
メンドシーノで最も多く栽培あるいは飼育されている動植物はブドウですので、ワイン関係で良く取り上げられているようでしたが、正直あまりワインとは関係ないでしょう。であればこそ、デュポン、ダウ、モンサント、クロップライフなどの化学会社は、ワシントンで大きなロビー活動を行い、メディア上でもキャンペーンを張って、何とかこの動きを阻止しようとしました。
しかしこれで本当にGMO育成が行われなくなるかというとまだ不明なのです。カリフォルニアは実はロビー活動は相当に盛んな場所で、実際1970年にメンドシーノで殺虫剤散布を禁止しようとしたときには、州政府が介入しました。
キーワードは「食を守るため」。次は、ソノマ郡だといわれています。(H)
コート・デュ・ローヌとゴーツ・ド・ローム
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以前デカンターで伝えられていたものです。 【要約】 フェアヴューは、"Goats Roti"をアメリカで商標登録しようとした際に、フランスのINAOからけちが付いたものです。 |
確かにアメリカ人にはわからないかもしれない。でも日本人でも区別が付かない人もいると思う。スペクテータの2月29日号でみましたが、Goat-Rotiのラベルについては、確かに、だれぞ(誰とはいえない)のCote−Rotieに似ているともいえます。(H)
新たなパートナーシップ
インポーターの皆さん!急ぎましょう!3月5日にいくつかのソースで伝えていたものです。オーストラリア、ペタルマのブライアン・クローザー、そしてランシュ・バージュのジャン・ミッセル・カーズ、そしてさらにボランジェがパートナーシップを結びました。
【まとめ】
パートナーシップは、「タパナッパ・ワインズ」と呼ばれ、早速、クナワラ近隣のウラットンバリーにある40エーカーのコッパマッラ畑を手に入れた。タパナッパとは「小道に近い」という意味である。
ブライアン・クローザー氏によれば「コッパマッラは、1975年に開設されたウラットンバリー地区のさきがけの場所。1980年以来ワインを造ったことがあります。1980年のアシュバーン・カベルネは、未だに強烈な果実感、バランス、フィネス、そして複雑さを保っていますよ。だからここで何かしたいと思い続けていたのです」と述べた。
2003年からワインは生産される。カベルネ、メルロー、カベルネ・フランはフレンチオークをつかって熟成され、2005年にリリースされる予定である。ボランジェとカーズの商流で、販売されることになる。
クローザー氏いわく「このパートナーシップは本当にすばらしいものですよ。カーズ氏とボランジェのワインメーキングとか栽培の技術、そして販売のノウハウが、オーストラリアのベストの畑と結びつくのです。この畑は、クナワラより若干暖かく、そして風が少なめで、本当にベストの場所なのですよ」
クローザー氏は、タパナッパの社長となるが、ペタルマ社のコンサルティング・ワインメーカーとしても業務を続ける。ペタルマ社は、1976年に彼が設立した会社だが、現在はライオン・ネイザンが所有する。
ミッシェル・カーズ氏は「タパナッパのような機会に浴する事が出来てうれしい。これまでとは全く違った環境でワイナリーを運営できるというのは非常に楽しい。ブライアン・クローザーとかボランジェと一緒に仕事が出来るというのは本当に光栄なことですよ」と述べている。カーズ氏は、ワイン造りと流通に大きく貢献する。カーズはここ数年、オーストラリアで事業を行いたいと考えていたのである。
ボランジェは、ペタルマに資本参画していた関係で、このパートナーに参画したが、その会長のアルヌー・ドートフイユ氏は「ペタルマへの出資は大成功で、すばらしい経験だった。今回あらたにパートナーだったブライアン・クローザーと提携が出来るというのは本当にエキサイティングです。タパナッパは間違いなく世界最高峰のワインを世の中に生み出しますし、オーストラリアワインの新たなベンチマークとなるでしょう」と述べた。
今後は、新たな畑を探し、傘下にしていく予定だという。
【まとめ終わり】
どのインポーターさんがゲットするのでしょうねこのワイン。ペタルマはKビールですが。(H)
コルクの話はどうなっている?
どういうわけか、コルクについていろいろな方から質問されることが多いので、ごく簡単にまとめてみます。コルクを使わないアイデアを整理すると次のような状況でしょうか。
(1)パッケージを変える
(2)ストッパーを変える
(3)その他
というようなアイデアがこれまで登場しています。これまでオーストラリア、NZがリーダーですが、カナダも積極的に採用していくことになりました。カナダは、ワイン業界にあってはお上(VQA=Vintners Quality Alliance)が強い国ですので、一気に加速するのではないでしょうか?10年前のスクリューキャップの技術とはまるで違う技術でプレミアムワインにも適用が十分に可能であると判断したようです。
カートン入りのワインでは、オーストラリアとアメリカでは既にヴィンテージワインも登場しています。味?ややプラスチックのにおいがありますね。フィルターは、ワインの成分をどこまで変化させるのでしょうね。こっそりとチェックしてみようと思います。念のためカートンとか缶のパッケージは品質の問題というよりも、利便性追求でメーカー側が導入していると判断しています。
この議論の根っこは、ロマンスか品質かです。ロマンスも品質もとなればプラスチックコルク? まだまだこの議論は続きます。(H)
新世界ワインコンペティション
2月29日と3月1日にカリフォルニア州オンタリオで行われた新世界ワインコンペティションの結果は次の通りでした。価格は現地価格です。
1. ベスト新世界カベルネ
米、加州) カストロ・セラーズ 2001 (15ドル)
2. ベスト新世界シャルドネ
豪、NSW州) レイノルズ・ヴィニヤード、シャルドネ・リザーブ 2002 (15ドル)
3. ベスト新世界ソーヴィニョン・ブラン
豪、VIC州) コールドストリーム・ヒルズ SB 2003 (17.5ドル)
4. ベスト新世界ゲヴュルツトラミナー
米、加州) シェイド・ヴィニヤード GWT (14ドル)
5. ベスト新世界デザートワイン
米、ミシガン州) ワイナリー@ブラック・スター農場 遅摘リースリング 2002 (12ドル)
6. べスト新世界メルロー
米、加州) カーメネット メルロー 2001 (24ドル)
7. ベスト新世界ピノ・ノワール
米、加州) クロスポイント・ワイナリー ピノ・ノワール 2001 (12ドル)
8. ベスト新世界スパークリングワイン
米、加州) マム・ナパ ブリュット・プレステージ
9&10. ベスト新世界シラー、ベスト新世界赤ワイン
米、加州) ハーン・エステート シラー 2002 (12ドル)
11&12. 新世界グランドチャンピオン、ベスト新世界白ワイン
米、ミズーリ州) ストーン・ヒル・ワイナリー ヴィグノールズ(品種) 2002 (12.99ドル)
13. ベスト新世界ジンファンデル
米、加州) V・サットゥイ・ワイナリー ZIN 2001
この競技会は1990年から行われているもので、受賞ワインには、既に知られたワイナリーもありますが、新進気鋭のワイナリーの登竜門として知られます。2000を超えるワインの中からの審査です。
ごらんの通り、美味しいワインを飲むのに必ずしも一財産を投じる必要がないということはわかるでしょう。まだまだバリューワインは世の中にゴロゴロ転がっています!(H)
ブライアントvs.ターリーの法廷・・・そしてさらに続く
3月4日、ターリー側の証言が始まりました。
【要約】
3月4日、法廷はブライアント・ファミリーのセラー・マスターであったジーニー・ビオールから証言を求めた。現在は、ターリーの会社であるHMT&アソシエイト社の社員である。彼女は次の証言を行った。「ブライアント氏は、自分に対してターリーがワイナリーと畑で何をやっているのか詳細に書き出すよう求めてきました。変だなと思ったのです。というのもブライアント氏は、それまでワインの知識はなかったし、ワインメーキングの知識を身につけることには興味がなかったからです。それがワインメーキングの知識を身に付けたいと言って来たのですから。私が自分の知識を教えようとしたときに、ヘレンの知識が欲しいんだ!と言いました」
続いてターリーの証言が始まった。シルバーのサンダル以外、黒づくめのいでたちである。緊張した面持ちであったが、彼女の代理人の質問に対して静かに整然と答えた。著名ワインメーカーの証言は次の通りだった。
2001年12月28日に、ターリーとウェットローファーはブライアントと面談した。そこで2002年から2005年の3年契約の内容について話し合った。プロフィット・シェアリングの話については、ブライアントはオープンであるとしつつも、プライベート・ジェットについては経費として考慮すべきということを告げた。これは利益をかなり削ることになった。ターリーは、コルギン他のワイナリーとの契約では、50-50のプロフィットシェアリングであるという事をも述べた。
ブライアント・ファミリーで、ターリーは絶対的な権限を持っていたかどうかについては、1993年に契約した際に、彼女は栽培と醸造について絶対的なコントロール権を主張したという。「ブライアント氏も、私の自分の事業としてやるということを望んだのです。ジョン以外、私が持てるものは私の名前だけでした。私の権限が弱められて、ワインの評価が下がるようなら、私の評価も下がるのですから」
とは言いながらも、オーナーとしてブライアントはマーケティング他のビジネス上の重要事項については決定することはあったという。「ワインの値段は彼が決めました」と述べた。
加えてターリーは、調達については全ての責任を持たされていたと主張した。さらに彼女の会社が立替払いして、それを後にブライアントに請求することについても問題なかった。であればこそ、2002年9月19日付けに受け取ったメモは、「青天の霹靂だった」という。ブライアント側は、セラー労働者に対する支払いを拒否したのである。「それまでブライアントは一切疑問を唱えたことがなかったのです。10年来続いてきたやり方ではなかったのです」という。
ターリーの代理人のフィリップ・テリー氏は、そのメモこそが契約違反に値すると述べた。ブライアントが一方的に、ターリーの役割について契約の内容を変更したというものである。そこでターリーとウェットローファーは、「やり方を全て変更をするということであればワインの品質については保証できないことをご理解いただきたい」とブライアントに対してメモを送った。
このやり取りのあと、両者の関係は崩壊した。ターリーの証言では、ブライアントは2002年10月14日にターリーに面会を申し入れた。ターリーとウェットローファーは、収穫の真っ最中だった。翌日、ブライアントに面談を次の週にしたい旨返事をおこなった。ブライアントは、フェデラルエクスプレスで手紙を送りつけてきた。中身は「二人の退職を受理した」というものだった。
ターリーが最も感情的に高ぶった瞬間であった。「全身全霊をささげたささげた事業でした。毎日、毎週、週末も関係なくワイナリーにいました。この事業をわたしの最後の仕事にするつもりでした。」声は震えていた。ブライアントは彼女を見つめ、頭を振った。
ブライアントの弁護人のジョン・マスグレイブ氏がターリーに質問をおこなった。ターリーは身を硬くした。マスグレイブをみることもなく、頻繁に質問を反復してもらったり、あるいは言葉遣いを変更を要請した。マスグレイブ氏が何ケースのワインをブライアントで造ったかという質問をし、彼女が覚えていないこと主張したときに「わたしはもう60を超えているのです。いろいろ忘れることだってあるでしょう」と述べた。
金儲けのために仕事をやっているのかどうかという質問に及ぶ。ターリーは、「愛情と情熱が、まずは重要です」と応えたが、マスグレイブ氏が「でも間違いなく稼いでいる」と反論したときに、ターリーは軽々しくも「そのとおりよ」と返事した。
マスグレイブ氏の質問は続いた。ブライアント・ファミリーに対して全身全霊を傾けていたといいつつ、他にもプロジェクトをもっていたことについて「ブライアント・ファミリー以外にも他のプロジェクトへも投入できる全身全霊があったのですか」と質問した。「6つほど」とターリーは応えた。彼女は自分のブランドであるマーカッシンを所有し、マルティネッリ、ブランキエなどでコンサルティングを引き受けている。
この日の最後の質問は、争点の部分についてだった。ターリー自身が、ブライアントの方針について意義を唱える権限を持っていたかどうかについてであった。「オーナーとして、彼は様々なことを行う権限がありました。しかし、ワインメーキングと栽培については、彼は口を挟む権限はなかったと信じています。そう合意したのですから」とターリーは述べた。
マスグレイブ氏は、仮定上ということで−仮にターリーが品質を維持するために何らかの機器購入を持ちかけ、それをブライアントが拒否した場合には、何が起こるのかと、という質問をした。この質問に対してターリーは最初回答を拒んだが−仮にそういうことが2001年12月28日に以前にあったとするならば、ブライアント・ファミリーを退職したであろうと述べた。それが2001年12月28日以降に起こった場合は、「私はより大きな権限を持っていたので、仮にドンがそうしたならば、契約違反と考えたでしょう」と締めくくった。
この日の最後に、グアダーニ判事は、昨日につづいてスピーディに質問を進めるように要請した。裁判が長引いた結果として、理由はともあれ陪審員の数が規定の8名が集まらない場合、審議が無効となることもありえるとした。
【要約終わり】
ナパが泣いています。事業投資家としての立場、著名ワインメーカーとしての立場、雇用者としての立場、被雇用者としての立場の主張が交錯しています。こうなるとあまりワインは関係ない。これは3月5日付けスペクテータからでした。次回以降は、経過のみお伝えします。(H)
その他のトピック
お伝えしたいトピックが今週もいつくかありました。例えば・・・
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